6.ブルボンの旅路 - イエメンから世界へ
久しぶりになってしまいましたが、コーヒーのおはなしの歴史編です。前回はティピカ品種の伝播についてお話しました。今回はブルボン品種(以下ブルボン)の世界への広まりについてお話します。
イエメンではコーヒー栽培を独占し種子や苗木の譲渡を禁止していましたが、ブルボンだけは例外でした。ブルボンの苗木は正式な手続きを経て、イエメンの国王アル゠マフジ・ムハンマドからフランスの商人に譲渡されました。ムハンマドは1689年から1718年までラシード朝の国王を務め、型破りで独断的な性格だったと言われています。
ブルボン品種もティピカ品種と同様イエメンが発祥です。イエメンではコーヒー栽培を独占するために種士や苗の譲渡を禁止していたと言われていますが、ブルボンだけは例外でした。
1712年、フランスからの使節団がイエメンを訪れた際、ムハンマドは彼らを興味深く迎え入れました。しかし、このとき国王は中耳炎を患っており、たまたま同行していたフランスの医者が治療したことで、国王はフランスに好意を抱くようになりました。1715年、フランスがコーヒーノキを欲しいと願い出た際、ムハンマドは60本ものコーヒー苗木をフランスの商人アンベールに贈りました。
この苗木はフランス東インド会社が開拓中だったブルボン島(現在のレユニオン島)に運ばれましたが、過酷な船旅のため、生き残ったのは20本だけでした。これらの苗木はブルボン島に建てられていた修道院の庭に植えられましたが、イエメンとは異なる気候条件のため、定着したのは2本だけで、うち1本は翌年に枯れてしまいました。しかし、残った1本の種子から増えた子孫がブルボンという品種になりました。
ブルボン島はブルボン王朝にちなんで名付けられましたが、フランス革命や政権交代により島の名前は何度も変わりました。フランス革命時にはレユニオン島、ナポレオン帝政時にはボナパルト島、ブルボン復古王政時には再びブルボン島と改名され、最終的には第二共和制時代に再びレユニオン島となり現在に至っています。しかし、コーヒーの品種名はブルボンの名が残っています。
ティピカが18世紀中にブラジル人官吏、フランシスコ・バリェータにより、フランス領ギアナからブラジルに持ち込まれているのに対し、ブルボンがブラジルに持ち込まれたのはその100年程後でした。1869年にフランス人がブルボンをブラジルのサンパウロに持ち込み、ブルボンは徐々に中南米でも栽培されるようになりました。20世紀はじめにはケニアやウガンダ、タンザニアにも伝わり、ブルボンはティピカとともに「二大品種」として広まりました。
ブルボンは、改良が進んだ品種と比べて収量が少ないものの、品質が高く、風味豊かな香味で知られています。そのため、ブルボンは特に高品質なコーヒーを求める市場で高く評価され続けてきました。ブルボンの栽培は、気候や土壌の条件が整っている地域でのみ成功し、そのため、現在でも主に特定の地域でしか栽培されていません。
このように、ブルボンはフランスとイエメンの歴史的な交流から生まれた特別な品種であり、その栽培と普及には多くの困難が伴いました。しかし、その結果として生まれた高品質なコーヒーは、現在でも世界中のコーヒー愛好者に愛され続けており、コーヒーの文化と歴史において重要な位置を占めています。ブルボンの味わいは、しっかりとしたコクを感じられ風味が豊かな味わいと言えるでしょう。芳醇で、甘味も感じられます。ブルボンの中でも希少なイエローブルボンは通常のブルボンよりも酸味や甘味がより明確になるものが多くあります。
なお、現在販売中のブラジル ダテーラ農園はこのような歴史を持つブルボン、さらにイエローブルボンです。通常のブルボンより柔らかな酸味があり、少し爽やかな呑み口のコーヒーです。詳しくはオンラインストアをご覧ください。
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[参考]
堀口俊英著『珈琲の教科書』(新星出版社 2010)」
旦部幸博著『珈琲の世界史』(講談社現代新書 2017)
ウィリアム・H・ユーカーズ著 『ALL ABOUT COFFEE コーヒーのすべて』 (角川ソフィア文庫 2017)
カップ:アラビア ファエンツア
コーヒー:ブラジル ダテーラ農園