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4. コーヒーノキ(ティピカ)とオランダ

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前回はコーヒーノキがどんな植物なのかをお話ししてきました。
コーヒーを採るために栽培されている種は3つでしたね。その中でも高品質コーヒーが作られるアラビカ種が今回のおはなしのテーマです。

世界で栽培されているアラビカ種。ほとんどは、ティピカとブルボンの二大品種の子孫です。どちらも伝播する過程で一時たったの1本になってしまいながらも、世界中に拡がっていきました。これから、それぞれの伝播にまつわる物語を紹介していきます。

まず、ティピカから見ていきましょう。ティピカは爽やかな酸味、クリーンで繊細な味わいが特徴で、コク(ボディ)はそれほど強くない品種です。現在の生産地は、ジャマイカなどのカリブ海諸島、ハワイ、パプアニューギニア、東ティモール、コロンビアなど。耐病性や生産性の低さから栽培地域が年々減少していて、この貴重な香味は将来楽しめなくなるかもしれません。

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ティピカの伝播ルート

ティピカは上図のルートで伝播していきました。簡単にその足跡をたどってみましょう。

15世紀までにエチオピアからイエメンに渡ったコーヒーノキ。イエメンでは重要な輸出作物として厳重に保護されていて、種子や苗の持ち出しが禁じられていました。

1670年頃ババ・ブダンというインドのイスラム聖者がメッカに巡礼に行きました。その際、イエメンのモカで密かに入手した7粒のコーヒーの種をインドに持ち帰りました。そのうち1粒の種の木だけが育ちインドへの伝播に成功したという伝説があります。

1696年にオランダ東インド会社(VOC)がインドから送った苗木を、拠点があったインドネシアのバタヴィア(現ジャカルタ)の農園に植えました。一度は全滅しましたが、1699年に再送されてようやく収穫にこぎつけます。

1706年には数本の苗木がジャワからアムステルダム植物園に送られ、コーヒーノキがヨーロッパまで伝播しました。

ところで、この時期の世界はどのような情勢だったのでしょう。
日本は、1603年に江戸幕府が樹立された後、江戸中期に入り元禄文化(1688-1704)が花開いた頃にあたります。農業生産の発展を基盤として経済的に繁栄し、数々の衣料品革命を実現したお江戸のユニクロ、三井越後屋呉服店[現三越伊勢丹ホールディングス]が開業(1673)したのもこの頃です。
世界では、大航海時代に活躍したスペイン・ポルトガルから、新興国のオランダに経済の主役が移っていました。オランダは有限責任会社(株式会社)と多くの出資者の参加(証券取引所)という現代経済の基礎となるシステムを作り、巨額の資金を長期的に調達することができるようになりました。これにより誕生したVOCのような巨大企業が活躍することで、オランダが世界の商業の中心となったのです。現在もオランダの首都アムステルダムは繁栄を極めた17世紀に作られた建物が多く残り、世界でも指折りの美しい町並みを形成しています。
オランダがコーヒーの伝播に大きな役割を果たした要因は、このような時代背景にあったのです。

この後、コーヒーはいくつかのドラマティックなストーリー(赤の矢印)を経てのアメリカに渡ります。次回以降、これらのストーリーをみていきましょう。

※過去の記事は、画面上部のCATEGORYにある"コーヒーのおはなし"からご覧いただけます。

[参考]
堀口俊英著『珈琲の教科書』(新星出版社 2010)
旦部幸博著『珈琲の世界史』(講談社現代新書 2017)
田中靖浩著『会計の世界史-イタリア、イギリス、アメリカ-500年の物語-』(日本経済新聞出版社 2018)

カップ:ロールストランド イレーネ
コーヒー:コスタリカ ロス・アンヘレス

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